SDI 特撮部

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Noah's Trumps 〜哀しみの終わる場所〜

Noah's Trumps〜哀しみの終わる場所〜 A Conclusion of Masked Rider Blade

終盤、大いに盛り上がって楽しませてくれた「仮面ライダーブレイド」。
正直、最後にこんなに思い入れができるとは思ってもみませんでした。
物語自体はハッピーエンドだったと思うのですが、剣崎と始の運命が切なくて「こんな未来が剣崎と始にあるといいね」とイメージの断片を簡単に箇条書きにしたメールをかおるさんに送ったのです。
それを読んだかおるさんは、そんなメモにエピソードやキャラクターを付け加えて、とても素晴らしい物語を紡ぎだしてくれました。
二人のジョーカーがただ運命に翻弄されるだけでなく、自分達の手で決着をつける未来。そして生命の庇護者たちを支える人間達の物語。
これは私とかおるさんが夢見た「仮面ライダーブレイド」の終わりの物語です。


Act.1 白き終幕
Act.2 誓いし友へ
Act.3 巡り遭う日
Act.4 ノアの切り札
Act.5 哀しみの終わる場所
Act.6 永久の眠り


Words by Kaoru in Oz's Leaves
Illustration by Chisa


Noah's Trumps 〜哀しみの終わる場所〜 Act.6

「主砲発射15秒前」
しんと静まり返ったベータ号のコントロールルームに副長の声が響く。ヒカルはさっきから必死で声を出そうとしているのだが、吐き出されるのは荒い息だけだ。

「待って‥‥」
辛うじて掠れた言葉が出る。誰も気づかない。
「10秒前」
だめだ。あの人が死んでしまう! 早く言わなくちゃ‥‥
「待‥‥」

(ヒカル)
ヒカルは驚いてあたりを見回した。頭の中、はっきりと声が聞こえた。
(心配しないで。やっと使命を果たせた。俺は今、とても嬉しいんだ)
(タチバナさん! だって‥‥!)
(アルファを‥‥。あとは祈るだけだ。地球が多種多様な命の星に戻ることを!)

「5‥‥」
映像はムーン・ベースにも届いていた。
「4‥‥」
宇宙に散らばった地球人達は、今、何が行われているのか知っていた。
「3‥‥」
ヒカルは胸の前で手を握り合わせた。掌の中に白い封筒がしっかり挟み込まれている。

「2‥‥1‥‥ファイアッ!!」
全ての人類の祈りを乗せて、宇宙空間から3本の光が銀の繭に向かって走った。

<br />
Act.6 永久の眠り


氷原に黒い平板が傾いで突き立っていた。捻れは無く、やや反っている。艶やかだった表面は一瞬で風化したかのように白っぽくざらついていた。
1枚のラウズカードに大量のアンデッドのエネルギーを取り込もうとした"システム"は完全に機能を停止していた。そのうえ、勝者が居ないという事態が、"システム"の存在意義を失わせていた。

"システム"の周囲には何体もの異形が踞っている。52種類の生命の始祖であるアンデッド。1体の改変された者。そして石のすぐ傍に、二体のジョーカー‥‥"システム"が破壊されたことで彼らはラウズカードから追い出され、最期の時を迎えようとしている。封印の石は、今や黒い墓標となっていた。


1体のアンデッドがゆらりと立ち上がり、ジョーカーに歩み寄る。毒々しい緑と赤の模様。頭上にある5本の触角はどこか人間の手を連想させた。
<貴様ら‥‥>
やや小柄なオリジナル・ジョーカーが緑の複眼でちらりとスパイダー・アンデッドを見上げた。だがそのまま視線を落とす。スパイダーアンデッド、クラブのカテゴリーAは長い指の生えた凶暴な左手を、ジョーカーの頭上に振り上げた。

<やめるんだ>
穏やかな風のような思念と共に、カテゴリーAの鋭い爪を受け止めたのはがっしりした褐色の腕。闘争心を持たない不思議なアンデッド。クラブのカテゴリーキング。
<キング。また邪魔をする気か!?>
<この二人を傷つけるものは、私が相手をしよう>

<なぜなの、キング? ただ切り札の役にしか立たないハズのジョーカーのせいで消滅するなんてあたしは許せないわよ!>
甲高い声をあげ、右腕の鞭をぶんと打ち振ったのはダイヤのカテゴリークイーンだ。ジョーカーに向かって突進しようとしたが、一人のアンデッドの背中がそれを阻止した。
<往生際が悪いな、サーペント>
<‥‥な、なによ、タイガー! あんたもあのバカどもを庇おうっての!?>

クラブのカテゴリークイーンがゆっくりと向き直った。戦士としての誇りと自信を発する強靱なブロンドの胸板。4人のクイーンの中でも真っ向勝負ならまず負け無しと言われる。
<私にはまだよく判らないこともある。だが、バトルファイトだけが正しいと思っていたのは間違いだったのかもしれない。何よりもう事態は決まったのだ。今さらうろたえるな>

さっきからあたりを見回していたアンデッドがふらりと浮かび上がった。少しよろめきながら空に上がっていく。最高の飛行能力を持つカテゴリージャック。正々堂々と闘いを好むことで有名であり、皆、思わずその動きに注目した。
しばしの時間の後、降りてきたイーグルアンデッドは完全に力を使い果たしていた。着地を待ちかねてそれを助け起こしたのは、カリスの異名を取るマンティスアンデッドだった。
<ああ、カリス。本当のキミか。嬉しいですね>
<オレもお前と同じことが気になっていた。なんだ。この異常な雰囲気は>
<遠くの空が燃えてる。こんなことは初めてだ。もうすぐこのあたりも炎で覆われるでしょう>

アンデッド達が少しざわつく。雄叫びとも悲鳴ともつかない嬌声が上がった。
<あーあ、腹が立つじゃない! 最高のバトルファイトの舞台がさぁ!>
スペードのカテゴリークイーンはいつもの八つ当たりのように三日月型の獲物を振り回しながら、いきなり跳ね飛んだ。

カプリコーンアンデッドの跳んだ先にはカテゴリー2がいた。自身と似た形のアンデッドを一人抱きかかえて座り込んでいる。抱えられたアンデッドは眠っているのか死んでいるのか、目を閉じたまま動かない。
三日月型の凶暴なエッジがカテゴリー2の頭部を横殴りしようとした時、それを食い止めたのはオリジナル・ジョーカーの刃だった。
<止めろ>
<こいつが勝ち逃げってのが、アタマくんだよ! 1万年もの間、好き勝手やってさぁ!>
<違う。この前の勝利で、こいつはアンデッドの中で初めて、多くの種の共存を願ったんだ。
 だから1万年ももった。その前は最も長くて2千年だったのに‥‥>

<くだらんな>
ダイヤのカテゴリージャックが座ったまま吐き捨てるように言う。ブルーの金属光沢を持つ飾り羽が美しい。
<ジョーカーのお前に勝利の意味はわからん。私が勝ち残ればそれで済んだ。
 だいたいバトルファイト無しで、どうやって次の世界が決められる?
 お前は愚か者だ>
<貴様自身は確かにアタマがいい。だが貴様の種族の個体全てが同じになれるか?
 多様性を持たせれば思うとおりにならん。だが同じにすれば結局滅びる。
 判っているはずだ>

<だから壊しちゃったってわけ?>
面白そうに言ったのはスペードのカテゴリーキング。苦しそうな息づかいで、それでもククク‥‥と笑い声を立てた。
<すごいよ、ジョーカー。流石のボクも思いつかなかったよ。いいんじゃない?>

<バカで愚かな選択‥‥。でもそう悪くないかもしれないわ‥‥>
ハートのカテゴリークイーン、オーキッドの自慢の右腕はしおれて哀れなほどだ。だが頭部の花飾りはまだ美しい色合いを保っている。そのあでやかな紫に、ごつい3本指がひどく優しく触れた。
<ま、これで俺も、ゆっくり寝られるってわけだ>
クラブのカテゴリージャック、エレファントアンデッドの思念が、染みいるような低い波動と共に、全てのアンデッドの腹底にずんと沈み込んでいった。

と、両腕の鋏上の得物をがちゃりと言わせて、黄金色の巨体が立ち上がった。
<俺は行かせてもらうぞ>
ダイヤのカテゴリーキング、ギラファアンデッドは、そこにいる全員の無言の疑問符に、いつも通りの人を食ったような声音で返した。
<まともな場所で死にたいからな。それともお前達、ここで仲良しこよしで死ぬつもりか?>

それだけ言い残すと、ギラファはアンデッド達に背を向けて歩き出す。ざわめいていた他のアンデッドも、一体、また一体と、四方八方、氷原の彼方をめざして散り始めた。


ハートのカテゴリー2がもう1人のアンデッドを抱えて立ち上がった。二体のジョーカーが、かつての己の姿に別れを惜しむように、そこに近寄る。
<今まで、ありがとう>
オリジナル・ジョーカーがカテゴリー2を見つめて言った。
<いや、礼を言うのはわたしの方かもしれない>

そう答えたカテゴリー2はもう1体のジョーカーに視線を移した。
<あなたに、とても感謝しています>
<いえ‥‥。オレは‥‥>
クリエイティッド・ジョーカーは言いよどみ、カテゴリー2の腕の中の存在に視線を落とす。剣崎一真の姿をかたどったヒューマン・アンデッド‥‥。
<わたしが連れて行きます。いいですか?>
<‥‥はい。お願いします‥‥>

血の気の無い白い顔で、それでも限りない優しさに満ちて、にっこりと微笑んだカテゴリー2は、ゆっくりと踵を返して去っていく。それを見送る二体のジョーカーの背後に、最後に残ったクラブのカテゴリーキングとクイーンが歩み寄った。
<剣崎くん。相川始くん、私達も行くよ>
<嶋さん‥‥。ありがとうございました>
<いや、剣崎くん。よく頑張ってくれたね。相川くんも‥‥。これでよかったんだよ>

<待て‥‥>
行こうとする二人をオリジナル・ジョーカーが呼び止めた。
<睦月が、ずっとあんたたちのことを言ってた。死ぬ直前にも‥‥。
 いつか会えることあったら、とても感謝していると、伝えてほしいと‥‥>
カテゴリークイーンがくすりと笑い、小首をかしげて訊ね返した。
<坊やは‥‥強い男になったか?>
<ああ‥‥。とても‥‥> <そうか。ならばよかった>

もはやかなり弱々しい足取りで、だが傲然と顔を上げて、クイーンは歩き出した。何かあったらクイーンを支えられるように少し遅れてキングもまた‥‥。ジョーカー達が軽く頭部を下げ、長い触角とチェーン器がゆらりとゆれた。


二体のジョーカーは黒い平板の下に戻った。
石は既に端から砕け始めている。彼らはそこに寄りかかるように座った。
<なんだか、眠いな‥‥>
<ああ‥‥>

二体が、どちらからともなく、手を伸ばした。
<もう起きてられないや‥‥。始、お休み‥‥>
<‥‥ああ。ゆっくり眠れ、剣崎‥‥‥‥>




ベータ号のコックピットが歓声で埋め尽くされた時、ヒカルはただ炎に包まれた地球を見ていた。見開いたままの丸い黒い瞳から、ぽろぽろと涙を流して‥‥。
ふと気付いて、握りしめてシワの寄ってしまった封筒を伸ばし、なかから花の種のはいった袋をとりだした。それを胸に押し当てて呟く。
「タチバナさん‥‥ハジメさん。さようなら‥‥。この花は僕がきれいに咲かせて見せるから‥‥」



オメガ層を燃やし尽くしながら走る炎が白い氷原を淡く染める。朽ち始めた異形達の身体をも讃えるように照らして‥‥。もろもろと崩れていく彼らの細胞は、新たな命の始まりになり、また新たな命の糧になってゆく‥‥。

氷の中に突き立った黒い石はもう半分ほどに崩壊していた。
そこに寄りかかった二体の異形もまた脚部からさらさらと黒い砂に変化していた。

どの種にもなり得ないアンデッドとして生まれ、他の生命を愛するに至ったオールマイティと、ただの人間でありながら、それを導き、支え続けた者‥‥

しっかりと握り合わされた手が、互いへの友愛を示す。
光を失った複眼に、炎で覆われた高い空から降り注ぐ灯りが映り込む。
朝日を思わせるその光は、異形達の表情を満ち足りたものに見せた。

永久の眠りで見る夢は、ただひとつ。

沢山の命達の宿る緑の星‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥




(了)===***===***===***===

2005/9/25 Words by Kaoru in Oz's Leaves


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Noah's Trumps 〜哀しみの終わる場所〜 Act.5

Act.5 哀しみの終わる場所


まるで荒野に生まれくる竜巻だ。醒鎌を双手に振りかざし、走り出す。

左右の刃が金と青のボディの全く同じ位置を立て続けに抉った。しなやかな両腕と抜群のコントロール。ワイルド・カリス。それは究極の狩人。

対するはブレイド・キングフォーム。あたかも大地のエネルギーをその身に宿した様に。

胸部に弾けた打撃をものともせず、巌のような拳を相手の体に叩き込む。何があろうが相手をねじ伏せるそのパワー。核になった存在の精神の強さを反映する強靱な身体。


命の危険に晒されれば晒されるほど、体内に残っているざわざわとした違和感が滑らかになっていく。複数のアンデッドの肉体と感覚が己のものとして融合していく。

ジョーカー。他のアンデッドのように仲間を生み出すことも敵わず、ただバトルファイトのリセットのためだけに存在する特異で孤独な戦闘生物。己がジョーカーに変容するかもしれないという恐れも、そこに戻りたくないという恐れも、既に無い。

今初めて、真の誇りに満ちて、二体のジョーカーは立つ。たった一つの目的のために。


殴り飛ばされて跳ね起きたカリスがまた1枚のカードをとり出した。それはクラブのカテゴリーAだ。呼応するようにブレイドも1枚のカードを掲げる。ダイヤのカテゴリーA。二人はジョーカーのままの緑のラウザーにカードをスラッシュした。

キングフォームの側頭部のガードが銀色に輝き、前傾して伸びた。前から見ると3本の角があるように見える。中央は金、両側は銀。肩甲が身体に密着して上下に尖り、菱様を成す。そしてその全身は明るい紫を帯びた。

一方のカリスの肩甲は上腕にまとわりつくように形を変える。脚と腕の筋繊維が太く変化して。側頭部が黒いガードで覆われた。額に3つの赤いドットが浮かび上がる。カリスの特徴である金色の紋はそのままに、朱のボディが漆黒にかわり、脛甲と腕甲が金色に輝いた。


<剣崎‥‥>
右手で醒銃ギャレン・ラウザーを引き抜いた時、剣崎一真は懐かしい‥‥。とても懐かしい声を聞いた気がした。
(橘さん‥‥)
死ぬまでこの身を案じてくれていたと、さっき聞いた。冷静で完璧主義な先輩、橘朔也。他人にもそして自分にも厳しくて‥‥。だがその厳格さの陰に深い優しさを秘めていた。だからこそあれだけ憧れた。
(橘さん、見ていて下さい。オレ、やり遂げてみせます)


左手に生じた醒杖レンゲル・ラウザーをくるりと回すと、チャリリと澄んだ音を響かせて円形の刃が3方に開いた。
<相川さん>
相川始は上条睦月の懐かしい笑顔を思い出す。ジョーカーの初めての懺悔を聞いてくれた男だ。そして長い歴史の中でこの自分を助けてくれた。
(睦月。今こそ、終わらせる。この闘いを!)


カリスが醒弓と醒杖を両手にひっさげて突っ込む。醒銃から連射されるエネルギー弾を幅広の刃で弾き飛ばしながら、醒杖を掴み直すとブレイドの胸板をぐんと突いた。エメラルド色の胸部に先端がめり込む。
だがブレイドは1歩下がっただけだった。左手で醒杖をぐっと掴むと身体を開きながらそれを引き寄せ、醒銃をカリスに押しつけるようにバーストさせた。
レンゲルのパワーを借りたカリスもまた、その衝撃を真正面から受け止める。バランスを崩しながら醒弓を投げつけると、両手で掴んだ醒杖をぐんと薙いだ。外殻の破片と火花を撒き散らしながら、両者がよろめき離れる。

損傷を修復しようと、彼らの全ての細胞が新たな力を欲する。ダイヤの13枚のカードがブレイドの周りに立ち上る。そしてクラブの13枚のカードもカリスを護るように取り囲んだ。それが彼らの身体の各部に溶け込んでいく。

この世に存在する全てのアンデッドをその身に宿らせて、二体のジョーカー、ブレイドとカリスが再び対峙した。


===***===

「完全に静止軌道に乗った。主砲。東経140度。北緯35度に合わせ」
ベータ号の挙動に関しての実質的な責任者であるダイゴ副長の後ろ姿には、その声以上に凛とした厳格さが漂っていた。ヒカルは与えられたシートに座り、つい先程まで自分をからかっていた優しいおじさんの本当の姿を、息をするのも忘れたかのようにじっと見つめている。

「アルファ号スタンバイOK」
「ガンマ号、少し遅れています。所定軌道にあと3分」
他の2機のシャトルからの状況がきめ細かく入ってくる。
「圧縮光子爆弾はアルファ号の2秒後に射出の予定。到達誤差が3秒以内に納まれば理想的です」
シンゴの補佐をしているオペレータの声はよく通った。

コントロールルームの空気は、まるで重力場に細工でもしてあるかのように張りつめている。このシャトルの主砲が狙うのは日本の関東地方上空の特にオメガ層が厚い地域だ。そこから炎が燃え広がり、オメガ層を焼き尽くし、そして地表には放射能が‥‥。

その瞬間を目前に控えて、ヒカルの全身がぞっと粟だった。自分の周囲が火で囲まれたような恐怖感が少年の身体を硬直させた。

(タチバナさん‥‥‥。どこに‥‥)

どこにいても同じだ。地球に残っている限り。
この手紙が何かの冗談で、ハジメ・タチバナがこっそりとこの船に乗っていてくれたなら‥‥。
だがシャトルの中の生命反応数はきちんと把握されている。そんな奇跡は有るはずがなかった。


===***===

中央アジアの白い平原で二つの生物はひたすらに戦い続けている。ブレイドが打ち振る刃はとてつもなく速く、ただ金色の帯が舞うかのようだ。それを避けていくカリスもまたあまりに素早くしなやかで、まるで氷原から金と黒のオーロラが立ち上っているように見えた。

ブレイドが双手にもった醒剣と醒銃をすっと重ねた。ふたつの獲物が完全に融合し、重さだけでも大きな破壊力を持つ醒銃剣に変形した。ブレイドがそれをぶんと振り下ろす。間一髪で交わしたカリスが少しぐらついた。醒銃剣がすかさずエネルギー弾を吐いた。
カリスは身体の全面で醒杖と醒弓を交差させるようにして火球を受け止めた。大きく後退したが崩れることはない。醒杖は短く変形し、先端の3枚の刃が大きく広がって主を守りきっていた。

カリスが両足を踏みしめて身を起こした時、醒銃剣を右手にひっさげたブレイドか、左手をゆっくりとカリスに向かって上げた。その手には何枚ものラウズカードがきれいに広げられている。スペードとダイヤの、最強の10枚。

カリスの脚部からも金色のツバメのようにカードが舞い広がった。ハートとクラブの全てのカード。それが1枚に集約して醒杖に吸収される。レンゲルラウザーは再度形を変え、緑銀に輝く矢となった。カリスがそれを醒弓につがえ、鮮やかに引き絞る。

ブレイドの持つカードもまた醒銃剣に吸い込まれていく。その大剣を八相に構え、相手に突進した。幾重にも生じたエネルギー・ベールを取り込みつつ、大剣が金色に燃え上がる。最後のベールを絡め取り、醒銃剣を振り抜くと、射出された金の波動がカリスに向かって走った。
だがカリスの銀の矢も既に放たれていた。いったん三方に別れた矢は、襲い来るエネルギーを迂回して集結し、相手の胸部の1点に同時に吸い込まれた。

ブレイドががくんと仰け反った。その厚い胸に醒杖が深くめり込んでいる。それを掴んで引き抜くと、数歩よろめき進んだ。炸裂したエネルギーを総身で受け止めたカリスが身を起こした時、その眼前でブレイドが崩れるようにうずくまった。

カリスが駆け寄る。仰向けたブレイドの腹部で緑のラウザーがかちゃりと開いた。
<オレの、負けだ……。いや、勝ちかな……>
カリス、相川始の頭の中に、微笑みを含んだ剣崎一真の声が響いた。

<‥‥剣崎‥‥!>
ブレイドの脇に膝をつき、そのマスクを覗き込む。と、ぶわんと気圧が増したような感じがした。肩越しに見上げると封印の石が浮かんでいる。それがゆっくりと歪みを戻し、まっすぐな平板になった。

カリスの全身が僅かにおののく。アンデッドとしての本能的な怯えだ。その腕に温かい掌がそっと触れた。
<始。オレたちは今まで、ずっと一緒だった。でも、これでさよならだ。お前に会えて良かった>

強い決意と優しさに満ちたその思念。一抹の怯えも後悔も感じられない。
かつてたった一人でジョーカーとして生きる道を選んだ剣崎一真の強靱な精神力は、長い時を経てもなんら変わっていなかった。

カリスの手がブレイドの手を握り返した。
<ありがとう、剣崎‥‥。だが‥‥>

封印の石が光った。ブレイドがふわりと浮かぶ。もがく友を追うように立ち上がったカリスが呟いた。
<もう二度と、お前だけを、苦しませない>

黒く輝く板の表面に奇妙な模様が浮かび上がる。アンデッドを生きながらに閉じ込めるラウズカード。それをちらりと見上げたカリスが、大きく息を吐き、頭を垂れた。漆黒の身体が電気が流れたかのように数度引き攣れた。

次の瞬間、あり得ないことが起こった。26体のアンデッドを全て活性化させているジョーカーのラウザーが割れた。バトルファイトの勝利者であるアンデッドが敗北の証を示す‥‥‥‥‥‥?


"システム"は混乱した。戦わずしてアンデッドが敗北するなど前代未聞。300年前にあるカテゴリー2が同種の行為をしたことは、"システム"には記録されていなかった。

判断ができない。こんなことは起こるはずがない!

だが一度始まった封印の儀式はそのまま進んでいる。敗者は封印される。それがルールだ。"二体"の敗者が封印の石に取り込まれて行く‥‥!


身体の中に溶け込んでいるアンデッドたちを引き剥がそうとする力と懸命に戦っていた剣崎一真の意識は、相川始の気配を感じた。
〈始‥‥!?〉
〈俺にもできた。大切な者のために‥‥。やっと‥‥!〉
〈‥‥お前‥‥?〉
〈融合を解くな。俺達の全てのパワーをあの中に送り込む!〉
〈わかってる!〉

二体のジョーカーの魂の咆哮が、強烈な光となった‥‥。


2005/9/25 Words by Kaoru in Oz's Leaves


Act.4> backtopnext >Act.6


Noah's Trumps 〜哀しみの終わる場所〜 Act.4

Act.4 ノアの切り札<br />


相川始は剣崎一真をコートで包み込むようにしてエアカーに戻ってきた。助手席側に剣崎を乗せると操縦席から乗り込む。イグニッション・センサーに掌を合わせてからパスコードを打ち込んだ。
「すぐ暖まるから」
「‥‥ああ‥‥。まいったな‥‥。死にそうに寒いや‥‥」
ヒューマン・アンデッドの耐寒能力はジョーカーのそれよりかなり劣るから仕方がない。だが寒くて死ぬことなぞアンデッドにはできない。始は思わず苦笑した。
「こんなことで、死んだりするか」
「‥‥そりゃ、そうだけど‥‥。始、お前よく平気‥‥‥‥」

始を見やった剣崎がふと怪訝そうな顔になり、始の胸元に向かって手を延ばした。気づいた始が慌てて切り裂かれたシャツから見えていた肌を隠した。褐色のごつごつと変質した体組織。ひどい火傷の痕のようにも見えた。
「どうしたんだ、それは?」
「いや、ちょっと、事故に遭っただけだ」
「事故? アンデッドのお前がそんな怪我を‥‥?」
「もう古い傷痕だ。気にするな。そんなことより‥‥」

始はシートを後ろにスライドさせると保温ケースの中から小さな花の鉢を取り出した。温室から選んで持ってきたオールドパンジー。それをそっと剣崎の前に差し出す。剣崎は目を見開き、震える両手でその鉢を受け取った。
「‥‥花、だ‥‥」
「森もみんな枯れてしまって、だからせめて‥‥‥」
「‥‥懐かしい‥‥。もう永久に見られないと思ってた‥‥」
肩からコートが滑り落ちたのにも気付かず、剣崎はじっと小さな鉢花に見入った。

ジョーカーの複眼は人とは全く異なる風景を映し出す。初めてヒューマン・アンデッドの姿を借りた時、相川始もまた動体認識力の極端な低下に心許なさを覚えつつも、目から飛び込んでくる映像にどうしようもなく惹かれたのをよく覚えている。木々の緑、空や水の青‥‥。ジョーカーから人の姿に戻ろうと必死であがいた時に、自分がどれだけそれらを欲していたかを知った。

「きれいだな‥‥やっぱり‥‥」
「‥‥ああ‥‥」
剣崎はおっかなびっくりした手つきでパンジーの葉を撫でながら小さく呟く。
「あの身体が老いるにつれて人の姿になるのが難しくなった。それでも緑の風景が見たくて、時々少しだけ戻ったりしたっけ。でも、身体の中からあれが急に居なくなって、それから‥‥」

始にはもう相づちすら打てない。
剣崎と小さな花を囲むこの空気を乱してはならないと、ただ息を殺して見つめるばかり。

この友は、何に恥ずることなく人として幸せになって良かった。それを‥‥。


ふと剣崎が花の鉢から目を上げた。計器に自分の顔が映っていることに気付いたらしい。不思議そうに首をかしげて、自分の頬や顎に触れている。鉢を片手に持ち替えると、さっき渡されたラウズカードを取り出した。白い石像のような人間の横顔が描かれたSPIRITのカード。マークもカテゴリーも無い。

「このカードは?」
「俺の‥‥ヒューマン・アンデッドのカードの複製だ。お前の遺伝子情報を組み込んだ。
 もっと早く作りたかったが、いろいろと難しくて、こんなに遅く‥‥」
始の手の中のカードはハートの2。ただそこに刻印された人の姿は剣崎のそれと少し違っていた。胴部が褐色の鎖帷子を纏ったようにざらざらと赤い。

同時に2体は存在出来ない生命の鋳型アンデッド。そのために相川始は己のカードに改変を加えた。相川始の胴部から脚部を覆う褐色の硬化した皮膚もその結果だ。厳密に言えば始のカードに封印されているのは"人間"ではなくなっている。だがそんなことはもうどうでもいいことだ。

始は自分のカードを両手に挟み、剣崎を見やった。
「‥‥本当はもっと‥‥、もっと早く、このカードをお前に渡して俺が消えるべきだった‥‥。
 お前に会ったら何が起こるか、怖かった‥‥。お前を‥‥。お前だけを、こんな‥‥‥‥」

剣崎は身を震わせて深く俯いてしまった始を目を丸くして見つめた。しばらくして、そっと言った。
「始、お前、幸せだったか?」
「‥‥え‥‥?」
始が驚いて顔を上げる。剣崎がもう一度言った。
「人間の中で、人間として、幸せに生きてきたのか?」

始が目を閉じた。瞼の裏に天音や遥香、橘、睦月、望美、白井や栞の顔が浮かんだ。そしてその子孫達、シンゴやヒカル、レイナ‥‥。

ゆっくりと目を開いた。剣崎をまっすぐに見つめ、はっきりと言った。
「ああ。幸せだった」

剣崎がふわりと笑った。
「あの石が出てこない限り、お前は無事だとわかった。それだけがオレの支えだった。
 オレの選んだ道に間違いはなかった。始。オレは今、とても満足だ」


===***===

シンゴとヒカルのルームのシグナルが鳴りモニターが明るくなった。シンゴがカメラの前に移動してスイッチを入れる。周回軌道に入ったシャトルの中は落ち着いたものだ。地表の6割の重力場が形成されており、老人にとってはむしろ動きやすいくらいだった。

モニターに映ったのはシャトルの副船長だった。
<プロフェッサー・カミジョウ。オメガ層の計測データがほぼ揃いました>
「ああ、ありがとう、ダイゴさん。すぐ上がります」
「お祖父ちゃん。僕も行きたい」
ぱっと近寄ってきたヒカルがそう言う。
「ヒカル。作戦の邪魔になる。ここに居‥‥」

モニターの中の男が笑った。
<かまいませんよ、プロフェッサー。どうぞお孫さんもお連れ下さい>
「やった。ありがとうございます、副船長」
ヒカルはロッカーを開けると、花の種と手紙の入った封筒を取り出し、祖父の後を追った。


コントロールルームに入ると巨大なスクリーンに地球が映し出されていた。ヒカルは思わず立ち止まり、それを見上げた。薄いグレーのオメガ層に取り巻かれた地球はまるで巨大な繭玉だ。ヒカルから見て左手側が太陽の光をきらきらと反射していた。
何も考えなければ美しい、と言える。だが、漆黒の宇宙にただ撒き散らされているその煌めきは、本来地表に届き、生命を育むはずだった貴重な光だ。

「来たね。ラッキー・ボーイ」
「あ‥‥副船長‥‥」
急に肩を叩かれたヒカルはびっくりして声の主を見つめた。副船長のダイゴ。火星生まれだ。TPC極東支部の中でも実力、知名度共に抜群なのだが、実際に会ってみると優しく穏やかな印象に驚く。

「ヒカル・カミジョウ君。素敵なパートナーに巡り会った君の幸運を、我々にも分けて欲しいな」
憧れのTPCのエースにそうからかわれて、ヒカルは真っ赤になる。話題を変えようと脇を見たが、祖父は既にスタッフの輪の中に呑まれていた。

「今、ヒットポイントを何処にするか、最終的な微調整に入っているんだよ」
「できるだけ層の厚い所で、うまく燃え広がる所に、ですね?」
「ああ。けっこう厚みが変化しているんだよ。ほら、中央アジアのあのあたりなんて、
 最初の避難地帯だったのに、今はけっこう薄くなってる」
「‥‥よく、わかんないや‥‥」
「ま、見た目はね」

ダイゴがスクリーンの中の地球を見上げて呟いた。
「あの星を‥‥僕が子供の頃に見たあの青い宝石に戻すんだ。
 そのためにはどんな小さな幸運も祈りも、かき集めたい気分だよ」

ダイゴの言葉に、ヒカルは胸の前で白い封筒を握り締めた。
(僕たちを見ていて‥‥、タチバナさん‥‥) 


===***===

「そんなことになってたのか‥‥」
この40年の状況を初めてきちんと認識した剣崎一真は、流石に沈んだ声になっていた。
「そのアルファって、あとどのくらいで始まるんだ?」
「たぶん、あと数時間のうちだと思う」
「厚い雲を焼いて消滅させる‥‥。放射能か‥‥」
「‥‥‥‥それでも、俺達は死ぬことがない‥‥」
相川始が小さく呟いた。

エアカーの中にしばしの静寂が満ちた。剣崎は膝の上の自分の掌をじっと見ている。始はエアカーのキャノピー越しに常に曇ったままの空を見上げていた。
「‥‥なあ、剣崎‥‥」
「ん?」
「お前は、これから、どうしたい」
「どういう意味だ?」

始が剣崎の方に向き直った。
「俺達はただ生き続ける。何も変わらず、何を生み出すこともなく、一人きりで‥‥」
「‥‥そうだな‥‥。それに、こんなことが無かったら、お前とは会えなかった‥‥。
 もし、あの石が現れたら‥‥、何かのきっかけがあったら‥‥オレの身体は‥‥」

「剣崎。俺は思っていたことがある」
「なんだ?」
始は言葉を確かめるようにゆっくりと話し出した。
「生きる物は、確かに他者を押しのけて、自分が生き残ろうとする。だけど、だからって相手を消滅させることを望んじゃあいない。だいたい自分の種族以外すべて滅びたら、喰うものが無くなる。たとえ闘っても、身を保ち、身を守る以上は闘わない。
 中途半端な闘いが適度な共存を生んで、結局、それが己を生かすことになってる‥‥」
剣崎はこっくりと頷く。内容は学者たちが昔から言っているのと同じだが、生まれた時からアンデッドであり、ジョーカーであったこの友が語るとなれば重みが違った。

始が自分のカードに視線を落とした。
「こいつが願ったから、こうなっただけなのかもしれない。でも俺は、自分の目で見て、感じて、これが生きる物の有り様なのだとわかった気がする。そしてそれぞれの個体は必ず死ぬ。
 形質は変化しながら受け継がれ、そうやって環境の変化に合わせていく。
 種とはそういうものだ。生命の鋳型など意味がない。バトルファイトもだ」
「始‥‥お前‥‥」

「剣崎。お前があの時、バトルファイトを継続させていなかったら、
 今頃再びバトルファイトが始まっていた」
「えっ!?」
「地球から勝ち残ったはずの種族が居なくなるんだ。次の勝利者を決めなければならない」
「‥‥そうだったのか‥‥」
「炎と放射能に包まれて、他の生物が居ない中でのバトルファイト。
 ある意味、今度こそ純粋で‥‥正しいバトルファイトになる‥‥。だが‥‥」

始は剣崎をまっすぐに見つめた。
「地球を人間の世界にしておきたいとか、そういうことじゃない。
 俺はバトルファイトの存在そのものを壊したい。統制者の意志も力もいらない。
 それによって、俺達が、全てのアンデッドが、消滅してしまうとしても‥‥」

剣崎が笑った。すっきりと優しい、昔のままの笑顔だった。
「いいよ、始。お前にとことん付き合うよ。オレだってあの石をなんとかできないかってずっと思ってた。でも‥‥具体的にどうしたらいいんだろう?」

「あれはアンデッドの封印と解放を行うシステムだ。敗北を認めて腹のキーが開いてしまったアンデッドはあの石に飲み込まれ、カードに封じ込められて吐き出される。
 だから封印の石に封印されるその時がチャンスだ‥‥」

始は後部から小さなケースを取り出して開けた。アンデッド達が眠る51枚のラウズカード。始はそこに自分の持っている1枚を重ねた。

「ここに眠るアンデッドたちが‥‥、このカード全部が、俺達の切り札だ」


===***===

封印の石と呼ばれている"システム"は待機状態から覚醒した。残っていたアンデッドが2体、同じ場所にいる。しばらく滞っていたようだが、やっと決着が付きそうだ。

現場に飛ぶと、カテゴリー2の姿を借りたジョーカーと、カテゴリーは謎だが似た形のアンデッドと融合しているもう1体のジョーカーが対峙していた。もともと1体だったものが2体に分裂してしまったようだが、ジョーカーは特異な現象だ。その振る舞いには揺らぎがある。
それぞれがカードをラウズした。スペード・クラスのカテゴリーAとハート・クラスのカテゴリーA。マンティスはオリジナルのままだが、ビートルの形状は異なっている。融合部位を変化させているようだ。

醒剣と醒弓が火花を散らした。2体の動きがどんどん速く、力強くなっていく。融合の段階で欠落したテロメア配列が急速に修復を始めた。融合係数が過激なほどに上昇していく。戦意が高くなければこうはならない。

そのうち少し距離を取った2体が2枚目のカードをラウズした。と、それぞれのジョーカーの周囲を金色に輝く13枚のカードが囲んだ。それが全て、中心のジョーカーに吸収されていく。片方のジョーカーはスペード・クラスの全てのアンデッド、もう片方のジョーカーがハート・クラスの全てのアンデッドと融合した。"システム"の過去のデータには無かったケース。だが理論上、ジョーカーの融合可能個体数に限界は無い。2体のジョーカーが発するエネルギー波が強大になっていく。

"システム"はただ最後の瞬間を待っていた。



300年ぶりに向き合ったブレイド・キングフォームとワイルド・カリスは、今はただ全てを忘れ、闘争に身を投じようとしていた。

最強のアンデッドとして皆に一目置かれていたカリス。
かたや感情の起伏によって驚くべきパワーを発揮してきたブレイド。

初めて拳を交えたときから血を騒がせる何かがあった。互いに呼び合って止まない闘いのリズム。今はただその韻律に身を委ね、内に宿る全てのアンデッドと真に一体化していく。

かつて仮面ライダーと呼ばれた者達の、最後の闘いが、今、始まる。
己を生み出した因果律を打ち壊し、生命たちの真の解放をめざして‥‥。


2005/8/27 Words by Kaoru in Oz's Leaves


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Noah's Trumps 〜哀しみの終わる場所〜 Act.3

エアカーを降りたところで手首の装置が赤い光を放っているのに気づいた。橘と栞が作ってくれた小型アンデッドサーチャー。この姿になっている自分には反応しない。ジョーカーとの距離が400Km以下になるとこうして教えてくれる。お互い苦しまずに済む距離だ。
相川始はそれをはずしてエアカーの中に放り込んだ。もう思い出の役にしか立たない。この体全体の軋むような感覚がすべてを教えてくれる。

すぐ先にいる。生涯の友であり、生涯の宿敵であるものが。

手足の力を抜くと荒い息をつく。体中が熱い。

‥‥懐かしい‥‥。‥‥この、懐かしい感覚。
全身が弾け飛びそうだ。ぞくそくする‥‥。
きっと信じられないほど早く動くぞ。最高だ。最高の‥‥‥‥


胸を押さえ込むと目を閉じた。

おちつけ。俺が囚われてどうする。

始は長く息を吐くと、顔を上げた。

「剣崎‥‥」

 
Act.3 巡り遭う日


ヒカル。
急にごめん。とても大切な理由があって、私は地球に残らなければならない。
どうか探さないで欲しい。

いろいろとありがとう。君とレイナに会えてよかった。
君とレイナは私の大切な人達にとても似ていた。
いつもお互いを信じることのできる二人でいて欲しい。どうか幸せに。

そしてシンゴに、君の家族にも、心から感謝してると伝えてください。
アルファが成功することを祈っています。
本当にありがとう。
                         ハジメ・タチバナ

P.S. 一緒に入れたのはオールドパンジーの種だ。レイナお母さんのお母さん‥‥。
   私の友達がとても愛していた花なんだ。
   もし君たちの生きる星でこれが咲いてくれたら嬉しい。


TPC日本支部の廊下を一人の少年が走っていく。途中で二人の職員にぶつかりそうになって睨まれたが、ヒカル・カミジョウは気づきもしない。
ゲートの手前で入ってきた紺色の長衣の老人とぶつかった。
「ヒカル!?」
「お、お祖父ちゃん! た、大変だよ! タチバナさんが!」
ヒカルは握り締めていた封筒を祖父に押しつけ、建物の外に飛び出していこうとした。その手を老人の右手が掴んだ。
「待ちなさい」
「すぐ探しに行かなきゃ、シャトルに間に合わない!」
「いいんだ。あの方の好きにさせて‥‥」

「何言ってんだよ、お祖父ちゃん!!」
ヒカルは捕まれた手を振り払うと祖父に向き直った。
「今度のシャトルが最後なんだよ!! 地球に残るって、どういう意味か‥‥」

「それしか無いんだよ、ヒカル!」
日頃穏和な祖父の大声に少年は驚いて固まった。見上げた祖父の目に涙が浮かんでいる。ヒカルの瞳がまん丸になった。

今この世界でアンデッドとバトルファイトの存在を知るただ一人の人間は、悲しげな顔で孫を見やった。
「ヒカル‥‥。本当のことを話す時が来たようだ。おいで‥‥」

===***===

起伏を一つ越えると、そこに誰よりも会いたくて、会えなかった友が居た。
真っ白い氷の中に立つ巨大な昆虫のようなその姿。するどい棘の生えた甲殻。右肘のあたりから伸びている弁。刃を逆手にした左手を広げ、低く身構えて‥‥。

これが本当に剣崎なのか‥‥。

始はごくりと唾を飲み込んだ。友がジョーカーになっていることを頭で理解していても、目の当たりにすると‥‥。

これは恐怖か‥‥。己の罪への‥‥。

相川始は震える声で言った。
「‥‥剣崎‥‥。俺だ。‥‥始だ‥‥」

ジョーカーが滑らかな動きで左手の刃を順手に持ち替え、切っ先をまっすぐにこちらに向けた。オリジナルとは違う素直な形の剣。その構え方はかつて剣崎一真がカテゴリーAと融合して"ブレイド"となっていた時のそれによく似ていた。
だが、そこから発せられる威圧感は"ブレイド"とは似ても似つかない。こちらを喰らい尽くそうとするピュアなまでの殺気だ。同時に明らかな怯えがその全身に宿っている。殺し合うべき宿命を背負いながら、決して相手を殺してはならない。それを覚えている。

長い年月、たった一人この姿で、我が身を引き裂くような衝動と戦い続けてきたのか‥‥。

「終わりにしよう、剣崎。俺達の彷徨を‥‥」

尖った顎が微かに左右に触れた。脚が少しだけ後じさった。
その恐れが俺には判る。今度刃を交えたら、止められないかもしれない。

それでも全身は荒く息づき、集中と高揚に張りつめている。
その渇望が俺には判る。飢え乾いたものが糧を欲すると同じだ‥‥。

「剣崎。この寒さで地球には人も動物も住めなくなった。もうすぐ最後の人類が宇宙に飛び立つ。
 俺達だけだ。もうこの星には誰もいない。お前は護りきったんだ。だからもう終わりにしよう」

始はすっと顎を引き、目を閉じて本能の声を聞いた。一瞬の不快感を経て懐かしい感覚が蘇った。体中の全ての部位、甲殻の小さなトゲの感覚まで余さず脳で統合される。甘美と言っていい開放感が全身を満たした。


相川始――オリジナル・ジョーカー。剣崎のボディより幾分明るいグリーンに艶やかな黒の甲殻を纏って、350年ぶりに本来の姿に戻った。両手を広げ、羽を広げた白鳥のように優美に身を沈める。

対する剣崎一真――クリエイティッド・ジョーカーから戦慄きが消えた。その身体は相手よりやや大柄で、敏捷さより力強さを感じさせる。左手で掴んだ剣の切っ先を相手に向けたまま、その柄に右手を添えた。肩の洞角が敵に向かって前傾する。

もう人語を発することはできない。だから思念だけをぶつけた。
<コイ。勝チ残ルノハ、オレダ>

どちらからその心の声が発せられたかは、もうわからなかった。


===***===

ヒカルは手紙と花の種の入った封筒をもう一度確認すると、ロッカーに最後のバッグを入れた。本当ならハジメが使うはずだったロッカーだ。萎んだエアパッキングの位置を確認して扉をロックする。スイッチを入れれば内部で自動的にパッキングが膨らんで荷物は固定されるのだ。祖父はもう進行方向に向いて固定したシートに座っていて、ヒカルもその斜め後ろのシートに腰掛けた。
<発進20分前です>
アナウンスが流れた。

「タチバナさん‥‥」
ヒカルが呟いた。

いくら脳天気なヒカルだとて、ハジメ・タチバナが普通の人間ではないことは知っていた。祖父が若い頃のムービーから歳を取ってない。先輩達の噂も聞いている。だが彼を不気味に思っている人もいるが、彼に好感を持っている人だって沢山居る。だいたい人類は既に2種類の地球外生命体と交流しているんだから、アンデッドやらがなんだって言うんだ。

もっと早く知っていたら、もっと色々‥‥。

「お前は辛いかもしれないが、タチバナさんにとってはこれが一番良かったんだよ」
シンゴが前を向いたままぽつりと言った。
「そうなのかな‥‥」
ヒカルの声には納得しかねる響きがある。シンゴは半身を捻って孫の顔を見やった。

「あの人はお友達に詫びたいとそれだけを思っていた。だけど会えば必ず戦うことになり、結局は地球上の生命を滅ぼしてしまうことになる」
「そんなこと‥‥」
在るはず無いよ、という言葉をヒカルは呑み込んだ。だが祖父にはそれが聞こえていたようだった。

「あの人も、そのお友達も、私達の祖先も、BOARDの創始者のサクヤ・タチバナも、その瞬間が来る寸前まで、心のどこかでそう思っていたのだそうだ。
 世の中が滅びるなんてそんなはずはない。きっとなんとかなるはずだって‥‥。
 だけどその時に起ったのは恐ろしい出来事だった。お友達は全てを背負って去って行き、残った3人には深い後悔と哀しみが残り、あの人はそれを抱えて生き続けて来た。
 だからあの人はもう誰も巻き込みたくなくて、ずっと一人で色々なことをやってきた。
 私や私の父も祖父も、本当の意味で彼の力になってあげられてないんだ‥‥」

シンゴはもうヒカルの顔を見ていなかった。壁の一点を見つめてとうとうと語る祖父に、ヒカルは初めて、いつも落ち着いていてなんでも知っている尊敬する科学者のシンゴ・カミジョウでなく、自分と同じように悩んで生きてきた人の姿を見た。

お祖父ちゃんも僕以上に悔しかったんだ。でもタチバナさんの気持ちを大事にしてあげたかった。僕たちの気持ちを伝えても、タチバナさんは困るだけで‥‥。

「‥‥わかったよ、お祖父ちゃん。‥‥タチバナさんは残った方が幸せなんだね‥‥」
ヒカルの言葉にシンゴがこっくりと頷いた。
「この氷の世界が、タチバナさんとお友達の‥‥いや、あの4人の哀しみの終わる場所になるんだ」

===***===

幅広の剣がオリジナル・ジョーカーの胸部めがけて走った。少しだけ身を引くが、オリジナルの右腕も既に舞うようにクリエイティッド・ジョーカーの頭部に向かって伸びていた。相手の尖った顎がくいと上がって、こちらの拳を紙一重で交わす。思うつぼだ。逆手に握りしめている刃を少しだけ起こして振り抜けば、それが敵の喉元を強く薙ぐ。だが次の瞬間、やり過ごしたと思った相手の剣がこちらの腹部にめり込んできた。

すぐに態勢を立て直すが、鎌形のエネルギー波が飛んできて胸部で炸裂した。オリジナルは不覚にも仰向けに倒れ込む。閃光の残像が消えた視界に、上空から飛び込んでくる相手の姿が映った。右肩の洞角を梃子に氷上を半回転して跳ね起きる。高く飛び上がると相手の肩に踵の蹴爪を思い切り叩き込んだ。白い空間に叩き落とされた二体は白のリングを転げ、すぐに跳ね起きる。

いったいどれだけこうしているのか。地に倒れ伏すたびに雪と氷を鮮やかな緑の血で汚しては、また立ち上がる。相手の尖った爪先がぴくりと動けば、それが次のラウンド。技の類似点と相違点が二つの異形を戸惑わせる。アンデッドの中でもずば抜けているジョーカーの生命力が闘いを延々と長引かせていた。

身体の全ての機能が、細胞の一つ一つが、相手を倒すためだけに集中する。嬉しいという感情に割く余裕すら無い。完全な統合。完全な連携。動きが見えるだけではない。ずっと先まで読める感覚。


たてつづけに緑の光が飛んでくる。オリジナル・ジョーカーもまた同種のエネルギーで自らの刃を包んだ。だが彼はそれを放たない。珍しく順手に持った刃で、飛来するエネルギーを弾き、あるいはからりと巻き付けるように受け止めては投げ返す。そのまま敵に向かって鬼神さながらに突進していく。クリエイティッド・ジョーカーが思わず数歩後じさった。

その時だった。オリジナル・ジョーカーが立ち止まった。

(タチバナさん‥‥)

頭の中に響いた声を求めて周囲を見回す。聴器官に下がる重力関知のためのチェーン器がゆらりと揺れた。

<‥‥ヒ‥‥カル‥‥‥?>

あろうことか。闘いの最中に在りながら空を仰いだ。
辛うじて青いと言える空。一直線に伸びていく軌跡‥‥‥‥。

(‥‥タチバナさん‥‥)

<‥‥ヒカル‥‥。ヒカル、シンゴ、レイナ‥‥>

日本を飛び立った最後のシャトル。ちょうどこの大陸から見える軌道をとる予定だった。オリジナル・ジョーカーの脳裏に本能に押しやられていた映像が浮かび上がる。

<みんな‥‥。橘‥‥。睦月‥‥剣‥‥>


いきなり幾重にも絡み合ったエネルギー波が、オリジナル・ジョーカーのボディに飛び込んだ。吹き飛ばされて枯れ木にぶち当たる。顔を上げた時はもう、振り下ろされた大剣を避けるには遅すぎた。

<‥‥‥‥!>


オリジナル・ジョーカーは二千の瞳で頭上でぴたりと止まった刃を見つめた。切っ先がぶるぶると震えている。
雪の反射が相手の顔面を覆う半透明の甲殻の中を照らしている。表情という不要な要素が無いただセンサーの集まりであるその頭部。人間が見れば悪鬼かもしれないが、これが己の顔であり、友の顔だった。

<‥‥剣崎‥‥>

心の中で呼びかけると、頭上の刃が消えた。自分の手の中のそれも。

相手の目を見つめたままそっとカードを出すと自分の腹部にスラッシュさせる。人の姿に戻った相川始は、もう一枚のカードを差し出し、震える声で言った。
「これを‥‥」
マークもカテゴリーもないSPIRITのカード。そこには始の持つカードと同じ、端正な人間の横顔が描かれている。

緑の指がそのカードを掴む。クリエイティッド・ジョーカーはゆっくりとそのカードを自分のラウザーに滑らせた。

異形の輪郭がぼやける。時が止まったかと思うほど長く感じられた。石を投げ込んだ水面が静まって、映り込んだ風景が明瞭になる時のように、そこに一人の男が現れた。男は不思議なものでも見るように、自分の掌を、身体を見回している。

「‥‥剣崎‥‥」
始が絞り出すような声で、男の名を呼んだ。

剣崎一真はしばらく呆けたような表情で相川始を見つめていたが、その顔にどこか子供っぽい笑みが浮かんだ。

「‥‥はじめ‥‥。おまえ、泣けるんだな‥‥」

発音もまた、子供のようにぎこちなかった。意味を理解した始が、少し驚いて、自分の目に手をやった。指先についた雫がすぐにぱりぱりと氷になった。

それはこの存在が、生まれて初めて流した涙だった。


2005/8/8 Words by Kaoru in Oz's Leaves



Act.2> backtopnext >Act.4


Noah's Trumps 〜哀しみの終わる場所〜 Act.2

山の中腹に作られた小さいカーポートにエアカーが着地した。降りてきたのはハジメ・タチバナただ一人。急な山肌に貼り付くように石作りの建物がある。あたりは氷で覆われているが屋根の雪は8年前に完全に除去したからきれいなものだ。大気にはもう雪になるような水分は残っていない。この小さな山は丸ごとハジメの私有地になっているし、こんなやっかいな場所にやってくる人間は誰もいない。

3日ぶりだったので玄関のすぐ脇に小さな温室を見に行った。今では珍しいオールド・パンジーの鉢が10数個、太陽灯を浴びてきれいに咲いている。留守中にトラブルは無かったようだ。
機材の並んだ研究室を通り抜けて自室に入り、机の上の2枚の写真にいつも通り挨拶する。1枚は5人の男女。1枚は母親と並んだ少女。平面写真を飾るなど廃れ果てた習慣だが、立体カメラが普及する何年も前に逝ってしまった人達なので仕方がない。

部屋には窓が無い。研究室の途中から先は地面を掘って山中に造られた形になっている。
古びた壁には透明でぶ厚い保護フィルムに封じ込められた年代もののジグソーパズルがいくつか飾られていた。どれもピース数の少ない小さなものばかり。モチーフは野草の慎ましやかな花が多い。橘朔也の唯一の趣味で、彼が逝った時、戸籍上の"息子"になっていたハジメがそれを貰い受けた。

橘朔也にここに呼ばれて、いきなり「お前を俺の息子にしたい」と言われた時は、さしもの相川始も驚いたものだ。かなり呆けた顔になっていたらしく、脇にいた睦月が年甲斐もなく笑い転げていたのを覚えている。だが橘は至極真面目に続けた。
「この施設一式、お前に受け継がせるにはそれが一番簡単だ。お前にはこれを受ける義務がある」
当時の橘が持っていた権力と財力なら、こんな施設を作ることも、戸籍の無い人間を自分の籍に入れることも可能だった。


なぜ天王寺がBOARDを橘に任せるという遺言を残していたかは永遠に謎だ。神となることを確信していた天王寺の皮肉だったのか、それともあの男の内にも良心はあったのか、はたまた全ては所長の烏丸啓の策略で、そんな遺言など無かったのか。
経緯はどうあれ橘は烏丸を後見にBOARDを真に人類のための研究施設として立て直した。そして潤沢な隠し資金を流用し、天王寺の別荘があったこの場所にこの施設を作った。
本質的には繊細な心根の橘が、結果としてどれだけの心労を抱え込んだかはわからない。睦月も始も彼の力になろうと最大の努力はしたが、橘は自分を追い詰めるように生き急いだ。彼が休むのは短い睡眠時間と小さなジグソーパズルを組む時だけのように見えた。

ハジメはパズルの1枚に近づくと、右の5本の指先を丁寧に決められた箇所に置いた。壁の一角にある薄い飾り棚がスライドし、その奥にトンネルが出現する。わずかな照明を頼りに天井の低いトンネルを進むと、壁も天井も金属で覆われた小さな空間に出た。何もないつるつるの壁面に手を触れると、壁の一角に切り込みが入り、小さな隙間が空いた。

隙間から真珠色の光が漏れ出てくる。大きな金属の塊を人間技とは思えない力で外し取ると、その内部には発光する大きな水晶のような石が保管されていた。半透明の結晶の中に、不思議な模様の描かれたカードが、幾枚も浮遊している。

相川始が橘から託されて、守り続けてきたもの。

封印されたアンデッドと、それらに関する全ての研究データだった。


Act.2 誓いし友へ


枠のついた薄いディスプレイをそっとなぞると、懐かしい写真が次々に溢れだしてくる。殆どが平面写真だが中には動画もあって、声を聞けば350年などあっという間に遡れる。そっけない寝台に座り込んだ男は、ひたすらにメモリーブックを見ていた。男の長い人生の中でほんの僅かの、だが一番大切な思い出。これが見納めだ。

もうすぐ地球に残っていた最後の人々がシャトルで旅立つ。生き残っていた動物たちの保護と移動は数ヶ月も前に終わっている。
あと20時間もすれば、地球から生命が消える。2体のジョーカーを残して‥‥。


輝くディスプレイに映っているのは可愛らしい少女とその母親の写真だ。ログハウスの前でハンギングやプランターに植え込まれた春の花々に囲まれて幸せそうに笑っている。
「天音ちゃん」
相川始の口が自然にほころぶ。ただ一心を自分を慕ってくれた少女。男の在り方を変容させた二つ目の啓示だ。
机の上に、温室から持ってきた黄色いオールドパンジーが一鉢ある。写真の中の花と殆ど同じ。少女――栗原天音が一番好きだと言った花。彼女の死後園芸品種がどんどん改変されてしまうことを知って、慌てて育て継いできたものだ。


自分は人間ではない。
この母娘にそう告げたのは少女が17歳になった時だった。
けっして人として生きられない化物だ。天音の父が死んだのは、自分と他のアンデッドとの闘いに巻き込まれたからだ‥‥。

美しく成長していく少女。変わらぬ自分。向けられる想いが何なのかそろそろ判ってきた頃だ。真実を言わぬ訳にいかなかった。

遥香も天音も自分を拒絶しなかった。それでもいいと言ってくれた。だがもうそれ以上、一緒には居られなかった。人がよく言う「泣きたい」ということがどんなことなのか、この世に生じて初めて知った。

この懐かしい家を出たあともずっと二人のことを見守ってきた。少女に恋人ができ、結婚し、可愛い男の子と女の子が生まれた。遥香が逝った時は弔いの儀式に付き添うことができた。そして少女の連れ合いが亡くなり、少女自身が病に伏して‥‥。


人間がアンデッドと名付けた52種類の動物の鋳型。決して変化せず、死なず、ただ封印されて眠るだけで永遠に生き続ける。統制者の下で1万年前に生き残りをかけて戦い、その時は人間の鋳型、ヒューマン・アンデッドが残った。そして350年前、統制者の力を利用しようとした天王寺博史が始めたバトルファイトで残ったのが‥‥。

この自分。
どの動物の鋳型でもない53番目のアンデッド。ジョーカー。

より強き生命を残すための試金石。闘いの過程で敗北すれば良いが、勝ち残った場合は他の全ての命を滅ぼし、再び始まるバトルファイトの土壌を作る役目を担う。他のアンデッドのように望みを叶えることはできないし、子孫も作れない。だから何の為でもなくただただ他のアンデッドを封印することしか考えない、残虐な殺し屋‥‥。


男の眉間に深い皺が刻まれる。ふうっと息をつくと、またディスプレイに触れた。

次のムービーは若い二人のウェディング・セレモニーだった。人なつっこく優しい少年の瞳。勝ち気でだが慈愛に満ちた少女の瞳。上条睦月と望美だ。
結果的に男の人生を長きにわたって支えてくれた者は、全てこの二人の子孫だった。もちろんカミジョウの名を捨てた者も、BOARDとは無縁の生活を送っている者も沢山いる。だがごく一部の人間だけは真実を語り継いでくれた。それがどれだけ驚異的なことで、どれだけ自分の救いになったか‥‥。その最期がシンゴになる。ヒカルを煩わせることはもう無いだろう。

アンデッドの影響を多大に受けるレンゲルバックルを使い続けた上条睦月こそが、アンデッドそのものである自分を真実理解してくれていたのかもしれない。アンデッドはいわば生存本能の実体化した存在なのだ。他のアンデッドが存在していることは、即ち己が「生きていない」状態であることを示す。勝ち残って初めて「生きる」。わざと負けたり戦いを放棄することは出来ない。戦って、戦って、戦い抜いた末に敗北を自覚して初めて、身体が変容し封印を受け入れられる。アンデッドはそのように出来ている。

それでも相手がアイツなら、負けることもできると思ったのに‥‥。


男が指先で軽くディスプレイを叩く。映像が変わり、険しかった男の顔が少し緩んだ。
天音の叔父の白井虎太郎と栞の夫妻だ。白井は科学雑誌の解説記事を書く片手間にBOARDの広報活動を手伝うようになった。
白井がやはりBOARDで仕事を続けていた広瀬栞に結婚を申し込んだのは事件の3年後。望美と天音というおせっかいな応援団の後押しもあったようだが、栞は白井と一緒に生きる道を選んだ。

始と橘と睦月にとって、あの闘いが終わってからしばらくはぎこちない時期が続いた。それは当然のことだ。顔を付き合わせれば、否が応にも思い出す。結局全てを、たった一人に負わせてしまった‥‥。
だがその場に白井がいると空気が和んだ。完全な部外者でありながら真実を全て知っていた唯一の人間。だからこそ彼の存在は、栞にとっても他の連中にとっても一種の癒しだった。

またディスプレイに触れる。作業着姿の二人の青年が並んでいる。落ち着いた微笑みを浮かべているのが橘朔也。その隣で屈託なく笑って、Vサインを出しているのが剣崎一真。剣崎がカテゴリーAとの融合を成功させてしばらくした頃の写真だという。
剣崎の写真はほんの少ししか無い。特に知り合って以降のものはほんの数枚。心を許し始めてから別れるまで、半年かそこらしか無かったのだから。

剣崎一真。
自らアンデッドになることでバトルファイトを終わらせない道を選んだ驚くべき人間。
剣崎は自分を信じた。そして睦月も白井もそして橘さえも、最後にはこの身を助けてくれた。だが最後のアンデッドとなった時、生命の掃除屋どもがあふれ出してくるのを止められなかった。ジョーカーの宿命から逃れることができなかった。

剣崎一真の身体から緑の血が流れ出したあの瞬間まで‥‥。

あの時の感覚が、激しい痛みと共に、今もこの胸の内にある。

行ってしまった、たった一人で。
世界を救い、ジョーカーであるこの身が、ありのままに存在することを赦して。
かわりに、異形の姿で生き続ける、永遠の孤独を背負ったまま‥‥。


始は肌身離さず持っている1枚のカードをとり出した。整った人間の横顔が刻印されている。ヒューマン・アンデッドが封印されているラウズカード。不死のヒューマンアンデッドはこのカードの中で生き続け、自分をこの姿に保っていてくれる。
だが剣崎の身体はごく普通の人間のものだ。ジョーカーが永遠に生き続けても、あの身体は‥‥。
それにジョーカーには上級アンデッドのような擬態能力が無い。人間の姿になることはできない。

あの戦いの後、烏丸と橘と栞は天王寺や広瀬義人の研究結果を集め、このカードを調べて複製を作ろうとした。せめてそれを剣崎に届けられれば、始と同じように人の社会の中で生きていくことができる。
だがヒューマン・アンデッドはどうしても実体化しなかった。アンデッドは生命の鋳型。同じ遺伝子系統を持ったものが複数存在することは不可能なのだ。過去作られた人造アンデッドにオリジナルと同一のものがなかったのはそのせいだ。
生命の始祖でないジョーカーだからこそ複数存在し得たとは、なんという皮肉だったのだろう。

「剣崎‥‥」今まで数限りなくそうしてきたように、始は苦痛に歪んだ顔で、晴れやかに笑う剣崎の姿にそっと触れた。そうして机の上の写真を見やる。栗原遥香と天音の母子。そして剣崎の部屋にずっと飾ってあった5人の写真。手前にいるのが白井と栞。後ろに立っているのが、睦月と橘。そしてその間に、やはり底抜けに優しい笑顔の剣崎‥‥。

誰かを失うなら自分が消えた方がいいと思った。
常に異端であった自分が、初めて知った、仲間だ‥‥。

「剣崎‥‥。結局何もできなかった‥‥。許してくれ‥‥。橘、睦月‥‥、みんな‥‥。
 でも、もうすぐだ‥‥。やっと、会いに行けるから‥‥」


===***===

氷上で、"それ"はびくりと上半身を起こした。
まだ脚をだらしなく投げ出したまま、ゆっくりと頭をかしげる。

何かが近づいてくる。

カマワレタク、ナイ。

カマワレタラ、オレハ‥‥。

イドウ、スルンダ‥‥。

ゆっくりと片膝を立てたところで、"それ"の身体が大きく揺らいだ。ぐげっという声をあげて仰け反ったかと思うと、嘔吐でもするように前に屈み込んだ。

驚いたことに何年も動いていなかった"それ"の両脚は、既に身体の下に引き込まれていた。額から鼻梁にかけてをガードしている半透明の甲殻の中で、複眼に光が走る。背中側に寝ていた触角がくんと立ち上がった。"それ"の全ての感覚機能が息を吹き返す。

そのうち剥き出しになった歯が、カチカチ‥‥と小刻みに音を立て始めた。尖った顎のすぐ下、胸元の緑色の部分が、どくんっ‥‥と大きく脈打つ。左足と左腕の甲殻から覗いた筋肉部分が引き攣っている。

イケナイ‥‥。

ニゲルンダ‥‥。

震えていた剥き出しの歯がぽかりと開いた。その空洞から絶叫が放出される。恐怖の悲鳴とも、歓喜の雄叫びとも聞こえる。左手にいつの間にやら緑色の得物が握られている。

‥‥ダメ、ダ‥‥。

ニゲロ‥‥。
ニゲナケレバ。

"それ"の全身は、逃げようとする意志と飛び出していこうとする意志に、引き裂かれんばかりに痙攣している。胸を食い破って出て行きそうな心臓を両手で押さえ込む。

ヤッタゾ、アイツダ、アイツダ‥‥。ヤットミツケタ‥‥。アイツダ、タオセ、タオセ‥‥。
ダメダ、ダメダダメダ。ニゲロ、ニゲロ‥‥。タオセヤツヲタオセ、ニゲロニゲルンダタオセ、タオセタオセ、チガウ‥‥チガウチガウ‥‥ヤツヲタオセ、タオセタオセタオセ‥‥

複眼を構成する2千の瞳に、地平線から現れた一つの生命の姿が映った。亜麻色のコートを着た人間。どんどんと近づいてくる。"それ"は震え戦いたまま、ゆらりと立ち上がった。

コートの男は少し離れたところで立ち止まった。その口がゆっくりと開いた。
「‥‥剣崎‥‥。俺だ。始だ」

"それ"はいやいやをするように、首を振り、少し後じさった。だが同時にその身体は、今にも男に飛びかからんばかりに沈みこんでいる。弾むような躍動感が、その黒と緑の身体全体にみなぎっていた。

相川始が、もう一度言った。
「終わりにしよう、剣崎。俺達の彷徨を‥‥」


2005/7/18 Words by Kaoru in Oz's Leaves


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Noah's Trumps 〜哀しみの終わる場所〜 Act.1

静かだ。
ただ一面に雪と氷が広がる。
完全に枯れ朽ちた木々の名残が、あちこちに突き出ていた。

目覚めを待つものも、芽吹きを待つものも、誰も、いない。
命が抜け落ちたような、この、静けさ。

それでもこの一帯には、辛うじて光と呼べる薄日が到達する。
白一面の世界で仄かな光を反射させる氷の粒達。

そんな景観を"それ"は見るともなく見ていた。大きな木の残骸によりかかるように座り込んで。

"それ"の内には、未だ鋭い牙がある。衝動のままに動こうが、動かずに耐えようが、
"それ"自身を抉り苛む牙。

もがき回って越えてきたのは、空間か。それとも、時間か‥‥。


ただただ白い世界の中でグリーンと黒の艶やかなボディが鮮やかに映える。それを目にする者が誰も居ないのが、惜しいほどに。

その無人の静けさこそが"それ"を鎮める。己以外の生命が感じられないこの場所に、
"それ"は安らぎを思い出し始めていた。

何年かぶりに、"それ"はゆっくりと腕の位置を変えた。首の向きも少し。ゆらりと触角が揺れた。そのまま再び動かなくなる。"それ"に訪れた静かなまどろみの時間は続いていた‥‥。


Act.1 白き終幕


どんよりと厚い雲の下、ひたすらに薄鈍色の氷が広がっていた。その中を布製のオーバーコートを着込んだ男が歩いてゆく。いくら夏とはいえ、気温は −25℃。蓄熱型か発熱型の耐寒スーツを装備するのが常識だ。だが彼は寒そうなそぶりも見せず、片手に黒いケースを持って、氷上に点々とスパイクの跡を残していた。

西暦2350年8月。TOKYO。
こんな風景が当たり前になって、もう20年以上が経とうとしている。

男はマシンまでたどり着くとリーブトロン・エンジンのスイッチを入れた。驚いたことにエアカーでなく、旧型のスノーモービルだ。近くの枝からつららを折り取ると、細い先端をぱりんと囓る。この厳寒の中、口中で溶けた冷たい水を飲み下した。エンジンの回転数が上がったことを確認してモービルにまたがると、ほとんど氷板に近い雪原を鮮やかに走り抜けて行った。



ちょうど40年前のことだ。ある巨大彗星が地球に接近した。それは完全に地球に衝突する軌道を描いていた。様々な測定とシミュレーションの結果、衝突範囲は80%の確率で地中海付近。ヨーロッパから中東、アフリカ北部が壊滅すると予測された。たとえ運良く大洋のど真ん中に飛び込んだとしても津波、地震の被害は甚大。なによりこの質量では99.99999%の確率で地球の軌道が変ってしまう。
彗星を調査した結果、生命が存在しないことが判明し、国連は彗星の爆破を決定。地球平和連合TPCを中心に各国の技術と力を結集して、彗星の半分以上を爆破し、軌道を逸らすことに成功した。

だが、事件はそれで終わらなかった。彗星を構成していた未知の物質が厚いガスとなって地球を覆い、太陽の光と熱の5割を遮断した。終末論をとなえる人々は彗星をオメガと呼んだが、それが人々に浸透したのもこの頃だ。科学界は認めなかったが、マスコミ含め多くの人たちがその未知のガスを構成する物質をオメガ粒子と呼んだ。
それは太陽の光と熱を吸収し分裂して増殖していく不思議な物質だった。高熱によって「燃やす」と無害な元素に還元するが、その過程で放射能を発する。打開策の見つからぬまま、オメガ層はどんどん成長し、地球は再び氷河期を迎えたのだった。



モービルを駆る男はそのまま街に入っていった。建物の4階近くまでを氷が覆いつくしている。ここに居る人間もほんの僅かになった。男は唯一明かりの灯っているビルの端にモービルを止めた。本来は非常時の脱出用に各階に作られたエアカー・ポートが通常の出入り口に転用されて久しい。男はBOARDと書かれた鋼鉄のドアをそっと開けた。


一週間後には地球に残っている最後の人間達が旅立つ。月のコロニーに向かって‥‥


リーブエネルギーを中心とする新エネルギーによって、低温対策は可能だった。だが、当然のことながら太陽光が無ければ植物は生きられない。ひいては動物たちも‥‥。人工太陽の温室ももちろんあるが、いくら大規模なものを作った所で追いつかない。太陽の偉業は決して人間が補えるようなものではなかったのだ。

とうとう人類は地球を離れることを決意した。22世紀初頭からTPCを中心に進められてきたネオ・フロンティア計画のおかげで、オメガ到来の時は既に、地球の人口の3割が生活基盤を宇宙に移しており、8割の人間が宇宙旅行の経験を持っていた。ゼロ・ドライブ航法があれば何百光年先の惑星へも数週間で到達できた。

最後の希望。それが全ての始まりになるように、オペレーション・アルファと名付けられた。

無人になった地球のオメガ層を焼き払い、その後で放射能を除去するのだ。いつか再び地球に戻る日を信じて。
地球の4箇所から一週間後に飛び立つ4台のスペース・シャトルによってアルファは実行される。オメガ層の中に同じタイミングで圧縮光子爆弾を投下し爆発させ、連鎖反応によってオメガ層を焼却するのだ。4台のスペースシャトルに乗り込んだ科学者と技術者とパイロット達は、そのまま月のコロニーに滞在し、地球の様子を観測する任に付く。

そして日本でオペレーション・アルファを担うのがTPC極東支部とそしてこの世界で最も偉大な研究所BOARD――生命生存基盤技術研究所―――だった。


男は建物に入ると黒いケースを置いてコートを脱いだ。背は低いが、がっしりした体つき。ひょろ高くて細身な現代人の中では珍しい体格だった。指紋認証のあと内側の防寒用の重い扉を開けて中に入った。

「タチバナさん!」
もこもことした青いセーターを着込んだ青年が長い廊下を駆け寄ってくる。男は自分を律儀にファミリーネームで呼ぶ青年の様子に苦笑した。
「廊下は走るな。また怒られるぞ、ヒカル」
「もういいじゃないですか。この場所、走り納めなんだし」

くるくると好奇心旺盛な丸い黒い瞳。青年の名はヒカル・カミジョウ。本当は学生なのだが実質的には見習い研究員に等しい。BOARDの最高責任者であるシンゴ・カミジョウの孫にあたる。

「またモービルで行きましたね。モニターで見ちゃった。タチバナさんこそ、
 お祖父ちゃんに怒られたって知りませんからね」
大人ぶったヒカルの物言いに、今度は男のほうが言い訳がましく応える。
「いいじゃないか。エアカーは好きじゃないんだ」
「危ないですよ。あんな古いきか‥‥‥‥わ!」

いきなり背中をどんと叩かれたヒカルが振り返る。少女がぷうっとふくれて見せた。
「もう、ヒカルったらいきなり飛び出してっちゃうことないでしょ?」
「うるさいな、レイナは。タチバナさんとすぐ戻るつもりだったんだからいいじゃん」
「そういう問題じゃないの。だからあなたは子供だって言うのよ。ね、ハジメさん?」
レイナがいきなり男――ハジメ・タチバナ――にそう振った。じゃれ合う恋人同士の様子を微笑んで見ていたハジメは、慌てて少女に賛同の頷きを返した。

レイナはヒカルの2歳下でやはり学生だ。彼女の親もオペレーション・アルファに従事していて、最後のシャトルで地球を離れることになっていた。ヒカルとレイナはこのシャトルで一番若い乗組員になる。

レイナはファミリーネームを持たない。DNAによるID化が一般的になってから、名前は本人が自らを演出する指標の一法になり、多くの人は名字というものを持たなくなっていた。だからレイナにしてみれば名前で呼び合うのはごく自然なことだった。
それでも自らの祖先に思いを持つ者達は、祖先の名を語り継ぐためにファミリーネームを使い続ける。ヒカルは親の言うままに素直にカミジョウと名乗っていたし、ハジメにはタチバナの名を決して捨てられぬ理由があった。

「そう言えば、タチバナさん。シャトルの船室、お祖父ちゃんと一緒でいい?
 僕達の部屋が機材の関係で3人しか寝られなくて。そうしたらお祖父ちゃんが
 ぜひタチバナさんと一緒の部屋でって言ってたよ」
「そうか。ありがとう。私もチーフ・カミジョウと相部屋なら有り難い」

「うちの船室がちょうどその部屋の隣なのよ。なんか嬉しいな。とにかく、ハジメさんがシップに乗ってれば、絶対にオペレーションもうまく行くわ」
ハジメが怪訝そうな顔をする。
「なんで? 私はアルファについては何もできないよ」
「いいの。ハジメさんが居ればうまくいくんだもん」
レイナは根拠のない言葉を、これ以上の確信は無いというくらいきっぱりと言ってのける。ハジメは不思議そうな顔で目をぱちぱちし、ヒカルが苦笑した。

「ほら。タチバナさんって、今までもずっと、危険で厳しい環境にふらっと出かけて
 調査したりサンプルを取ってきてくれたりしていたでしょう?」
「‥‥まあ‥‥。私の身体は、少し、変わってるからな‥‥‥‥」
「そうかもしれないけど。でも、貴方が一緒だと、幸運の神様が傍にいるような気になるんですよ。
 そう思ってる人、僕らだけじゃない」
ハジメが驚いた顔をする。口元が嬉しさと自嘲を行き来して少し歪んだ。

「ハジメさんが最後まで付き合ってくれることになって、月に一緒に住むことになって
 あたし達すごく嬉しいの。ちゃんと式にも来てね。絶対よ」
ヒカルとレイナの無邪気な瞳に見つめられて、男は一瞬、目を見開いたが、すぐに笑ってみせた。
「‥‥ありがとう。呼んでもらえて嬉しいよ」

若い恋人達は顔を見合わせて幸せそうに笑い合う。
ヒカルとレイナのウェディングの話題は、アルファの遂行者達の中では"救い"に近かった。晴れてその日が来ることは、すなわちオペレーションの成功を意味するからだ。若い2人もまた、そのセレモニーが自分たちのためだけでは無いことを知っている。古き良き時代を知る者にとっては満足の行く準備など出来ないに違いない。だがこの世代の若者達は生まれた時からそんな時代に生きていた。

ハジメは思い出したように床に置いたケースを取り上げた。
「チーフは部屋にいる?」
「うん。いると思うよ。それ、なんなの?」
「土だ。神埜山の麓でとってきた」
「あのあたり、もうそんな場所無いでしょ?」
「洞窟を見つけたんだよ。入り口で苦労したけど、なんとかね」
ヒカルは呆れたように溜息をついた。


===***===

ハジメはCEOルームでソファに沈み込み、飾り棚の立体映像をぼうっと見ていた。保温されたコロイド・クッションが彼の身体を優しく受け止めている。

映し出されているのは、初めて民生用に作られたリーブトロン・エンジンだ。21世紀に発明されたリーブトロン。それをを改良して窒素を原料にする完全無公害の小型エンジンに仕上げたのはBOARDだった。その上その技術を驚くような低価格でメーカーに供給して社会を驚かせた。BOARDがそれを率いる橘朔也の名と共に人々に知れ渡ることになったのは、このエンジンがきっかけだった。

(橘らしかったな‥‥)
ゆっくりと回転するエンジンの映像を見ながらハジメは寂しげに微笑んだ。

研究所の幹部たちが橘の写真を施設内に飾ろうと言い出した時、橘は頑としてそれを受け入れず、代わりにエンジンの模型を飾るように言ったのだった。BOARDは常に人々のためにあることを忘れないように、と。その後、模型は立体映像に置き換えられたが、橘の思いは長い年月を越えて生き続けている。

300年以上も前の出来事。
ハジメがまだ「相川 始」と名乗っていた頃のことだ。

BOARDの創始者であり理事長だった天王寺博史の名は既に消え去っている。天王寺が引き起こした"人工的バトルファイト"のことも。どこから出現したのかもわからない謎の怪物達が人々を襲い、"仮面ライダー"と呼ばれる者達がそれを倒したという話も、人々の口端に上ったのは事件後30年ぐらいの間だった。

アンデッドとライダーの闘いを出版したいという白井虎太郎の夢は叶わなかった。もちろん意欲は燃やしていたが、栞の涙は決定的だったようだ。白井自身も心の中では判っていたのだ。「真実を知る権利」は確かに独裁指向の人間を抑止する要素がある。だが余分な知識によって犯罪を起こす人間も多い。哀しいかなそれは300年を経た今でも同じだ。
ライダーシステムが悪事に利用されることがあってはならない。それはあの事件にかかわった全ての人間の願いだ。

そうだ。
剣崎一真の名にかけて。
口に出す必要などないほどに、皆の心にその名があった。


「お待たせしました。タチバナさん」
穏やかな声に振り返る。入ってきたのはBOARD最高責任者のシンゴ・カミジョウ。白銀の髪に濃紺の詰め襟の長衣がよく似合う。老人は見かけでは半分以下の年齢に見えるハジメに丁寧な一礼をした。
「ああ、シンゴ。どうだった?」
ハジメはシンゴに歩み寄るとひじ掛け椅子まで導いてやる。老人は恐縮しながら、ほどよく暖まっているクッションに身を沈めた。
「やはりバクテリアや菌類は活動が低下しているだけです。土の中には有機物も十分含まれている。
 光さえ届けば、地球は蘇ります」
「そうか。良かった‥‥」
「あとはアルファ次第です。厚い氷は放射能の防護壁の役割を果たすでしょう。
 もしかすると私も、生きてもう一度、地球の大地が踏めるかもしれない」
「そうだね、シンゴ。君の努力の成果だ。よくやってきたと思うよ、ずっと‥‥」

シンゴ・カミジョウはまるで子供の頃に戻ったような恥ずかしそうな笑顔を浮かべた。その笑みに、ハジメはまた大切な友のことを思い出す。

上条睦月。シンゴやヒカルの祖先だ。

純粋な人間でありながらアンデッドの声を聞き、その思いと同化し、はたまたアンデッドの心を開き、彼らに慈しまれた少年。まさに己の内に光と闇を諸共に抱え込み、生き抜いた‥‥

橘はあの生真面目な性格のまま、己の命を削るように仕事に打ち込み、60歳の声を聞く前に過労で逝ってしまった。そんな橘を最後まで支え、その後の道筋を繋げたのは8歳下の睦月だった。17歳までで感情の隅から隅まで経験するハメになった睦月は、真に懐の深い男に成長した。そして今や上条の家系の中の、選ばれた者だけがバトルファイトの真相を語り継いでいる。

「タチバナさん、どうしました?」
「いや‥‥。ヒカルが、その‥‥。会うたびに似てくるなと思って‥‥‥」
「ムツキ・カミジョウにですか? なんどかスティルを見ただけなのでよくわかりませんが」
「性格はそうでもないけど、目のあたりがとてもね。ヒカルとレイナには幸せになって欲しいよ」
「はい。私もそう思います」
「‥‥あの‥‥シンゴ‥‥」
「はい?」

ハジメは少し言いよどみ、意を決して老人の顔を見つめた。
「私は、シャトルに乗らないよ」
シンゴが息を呑む。ハジメは構わず続けた。
「乗れないんだ。あいつを置いて行けない」

シンゴが嗄れた声で言った。
「‥‥もう一人の‥‥ジョーカー‥‥」
「ああ」
「‥‥‥‥貴方が、そう言い出すのではないかと思っていました‥‥。でも‥‥」
シンゴが悲痛な眼差しでハジメを見た。
「その方も、ムーンベースにお連れするわけにはいかないんですか?」
ハジメは黙って首を振った。シンゴが言葉を重ねる。
「でもあと一週間あります。何か方法を‥‥‥‥」

ハジメが泣き笑いのような表情を浮かべた。
「‥‥シンゴ。ありがとう。ヒカルやレイナも‥‥。でも、わかって欲しい。
 君たちのそういう想いを、その優しさを、受けるべきはあいつだった。
 俺があいつから全てを奪った。‥‥‥‥あいつは‥‥‥‥」

ハジメは立ち上がり、シンゴをまっすぐに見おろした。
「時が来たんだ。やっと‥‥」


2005/7/2 Words by Kaoru in Oz's Leaves


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